パリ在住のフードジャーナリスト
伊藤文さんのコラム
ラグジュアリーな
パリのフード事情
安藤忠雄が改修を手がけた美術館
「ブルス・ド・コメルス
ピノー ・コレクション」内の
レストランで味わう『穀物』の楽しみ。
2024年3月15日(金)
パリ中心地のレアール地区は、近年ダイナミックに変化する新興地域です。2021年5月にオープンした美術館「ブルス・ド・コメルス ピノー ・コレクション」もそのレアール地区の西側に位置しています。もともとは18世紀に建造された「穀物卸市場」。世界中の穀物が集積する穀物取引所だったという歴史があります。公明正大を掲げた取引所だったため、丸天井は天窓になっており、明るい日差しが差し込む内部。歴史的建造物に指定されたこの建物を、基本構造を守りながら、安藤忠雄氏が気高いまでに改装しています。
その最上階の4階にオープンしたのが、ミッシェル・ブラス氏とその息子セバスチャン氏が手がけるレストラン「アール・オ・グラン」です。アール・オ・グランとは「穀物市場」のこと。その歴史にオマージュを捧げたブラス親子らしい料理を堪能することができます。ミッシェル・ブラス氏は、かつての伝説的な3つ星シェフとして知られており、北海道洞爺湖湖畔にあるホテル「ザ・ウィンザー・ホテル洞爺リゾート&スパ」内にも展開していました。フランス中南部オーブラック地方の自然の美しさをそのままに皿に乗せる手腕は、世界中のシェフたちにインスピレーションを与えたのでした。
ところで実業家のフランソワ・ピノー氏が、この建物を美術館として、所蔵する現代アートのコレクションを展示していますが、この館内にレストランをオープンするのに、ぜひブラス親子を招きたいと思ったそうです。そこでピノー氏はオーブラックの店に訪れたそうですが、父親のミッシェルは自身の店の哲学と共鳴しない限り、その仕事は受けたくないと保留に。しかし、ピノー氏にどうしても場所を見て欲しいと言われて訪れると、この建物の美しさと歴史に心が動いたそうです。世界中から集まってきた穀物を、一手に扱う市場の生き生きとした風景が脳裏に浮かび上がったといいます。そして、「穀物」をテーマに掲げたレストランにしようと決めたそうです。
ミッシェルを一躍有名にしたのは、1978年に誕生したスペシャリテ「ガルグイユ」でした。オーブラックの自然を構成する30から40数種もの野菜やハーブ、野の花を一皿に盛り付けた料理です。春夏秋冬の移りゆく大地の豊かさを、一皿で見て味わって堪能することができると、当時は革命的と言われたのでした。そんなミッシェルだからこそ、自然の恵みで人間の食文化を支えてきた「穀物」に心を動かされないはずはありませんでした。
メニューの料理名には、聞いたことのない「穀物」や「種」の名前が散りばめられています。地元オーブラックで産するプラネーズ種レンズ豆、スリランカの雑穀クラッカン(シコクビエ)や、北アフリカの野生の粟。ペルーのキノア、インカのアマランサス、メキシコのチアシードなど。世界中を旅して見つけた穀物や種の種類は80種類にも上るそうで、キッチンの裏の棚にぎっしりと保存されていました。また、ブドウも「種」と捉えて、ミッシェルが、フランス中の親しいワイナリーに、この店のために特別に作ってもらった、あるいはボトル詰めしてもらったワインのみを提供しているのも、この店の魅力でしょう。
料理名は上から「カボチャの種のミルフィーユ、バニラ風味のクリームとビスキュイ」、「グリンピースとグリーンアスパラ、アンコウのポワレ」、「若鶏の胸肉のロースト、ホワイトアスパラとスペルト小麦のリゾット」、「挽き割り蕎麦のチュイール、チコリとひよこ豆のメレンゲ」、「仔羊のロースト、オーツ麦とカブのリゾット」、「バニラアイスクリームと発酵ミルクのソルベ、パフライスのキャラメリゼ」、「いちごのタルト、スライスアーモンド」。前菜からデザートまで、知り得なかった「種(穀物)」の味わいのサプライズを楽しめます。
美しい内装はもちろん、フランスのジャカード専門メーカー「ムテ」によるテキスタイルや、ライオールの卓上ナイフ、1475年創業のメーカー「ラ・ロシェール」によるグラス、陶磁器の「ジャール」など、隅々にまでこだわったアール・ド・ラ・ターブル(食卓芸術)の存在感にも目を奪われずにいられません。
Photos/
BRAS BOURSE DE COMMERCE PINAULT COLLECTION / DELPHINE CONSTANTINI, MAXIME TETARD, LAURENT DUPONT, EMMA FERIAUD
フードジャーナリスト 伊藤 文Aya Ito
1998年より、在仏食ジャーナリスト・アナリストとして活動。
数々のメディアでの取材・執筆、食関係の本の出版、翻訳の経験、また食分野で活躍する様々なタレント(経営者、シェフ、生産者など)との深い交流を生かし、食を通して日仏をつなぐDOMAを創立(在仏)。
2017年には、パリ12区バスティーユ界隈にショールーム・アトリエ・物販店「atelier DOMA」をオープンする。
和庖丁の販売、メンテナンス、研ぎ教室を中心に、日本の食文化やものづくりの精神を伝える事業も展開する。